徳弘康代「ライブレッドの重さについて」を読むとき 徳弘康代さん(以下、敬称略)の詩を読むとき、私は通常の詩文や散文が語りかけてくる事実の記述や物語、籠められた想いにまず最初には出会わない。むしろまず出会うのは、言葉の「森」である。「詩」の前に「森」がある。 この森に惑わされて、実ははじめ感想を私は書けないでいた。いまようやくひとつ気がつき、形のあるものになったので、彼女の詩の理解には第一歩には過ぎないと思うが、書いておこうと思う。(従って将来的に変更されうるものでもある。一部私自身用のメモ書きでもある。) 便宜上、次のように分ける。詩を普段読まないひと向けに書く意図も容れて、 1.<「砂の土地で」読解> 2.<読解の結果を評価> 3.<徳弘康代の詩の傾向> <「砂の土地で」読解> 一例ではあるが、今回の徳弘康代の新詩集、「ライブレッドの重さについて」の冒頭詩、「砂の土地で」を持ち出すだけで、「言葉の森」の傾向に出会う。 ひどく遠くを思う日は 耳までバスタブにつかって 「ひどく」、「遠くを」、「思う」、「日は」とひとつひとつの文節を区別しつつ頭のなかに入れて、「耳までバスタブにつかって」を「理解」しないといけない。「バスタブ」は自己と外の世界を分け隔てている。 「ひどく」は「尋常でなく」を意味し、「遠くを思う」は外界との隔たりとしての距離を取る空間が「思う日は」と時間的な条件に変換されて意識のなかに取り込まれていることを示している。単純にある日、ひどく遠くを思うような気分になって、「耳までバスタブにつかっ」た女の子が 少しあかい砂漠の水に ひたっていよう としているのではない。 「砂漠の水に」は、「砂漠」、「水」と矛盾を抱いており、通常の意味での植物、次に出てくる木や生命を育む水ではないだろう。そんな「水」の張ったバスタブにこの詩の話者(徳弘康代とは限らない匿名性もある。)は浸っているのだ。 上記のように、空間的な外界が括弧にいれられ、「日は」と時間(心的な「場合」)の内的な世界に浸りきるから、以上の連に直接続く説話も意味を持ってくる、と同時に理解しやすいものになる。ふたたび「耳」と「遠さ」であるが、 耳の内へも水が満ちれば 遠い木と私の木は 目をさまし お互いの方向へ なびくだろう (以上で「砂の土地で」全行。) 「遠い木」とは作者の意中のひとであろうか、或いは近くにいても、こころが通わぬ以上知りえない他人の心根であろうか、どちらにしても詩の話者以外の他人の「意識」である。もとより「私の木」が並置され、「木」は、「私」と「遠い」との他者と我を表している。木は「気」でもあり、「意識、イシキ」の「キ」でもあろう。ゆえに互いに、終りまで一生を、手を握りあうことも抱きしめることもないはずの植物の「木」同士に、私と他人の意識は喩えられるのである。 それが結び合う条件として置かれる「耳の内へも水が満ちれば」は「バスタブ」の自己の内面に深く沈むことをいい、そうすれば「お互いの方向へ/なびくだろう」ということも可能になるのである。 もっとも題名が「砂の土地で」とあるから、バスタブにつかるのも容易ではないのだろう。 (同じように読める詩としては同詩集内に「うた」・「声」・「音」・「雨期」・「さかなかな」・「声」・「音」・「雨期」があるだろう。) だが「言葉の森」に出会うだけでは「詩」にはならない。「詩」という文字は「言葉の構造物」であるから、意味と内容を持っているはずである。次に私の論述が触れるハイデガーの現存在分析論を説明するのに使われる言葉を比喩的に用いれば、人間の現存在が発する言葉も世界内存在という文脈のなかで語り出されているはずである。 <読解の結果を評価> 私は徳弘康代の文法をたどって見た。そして他方、もとより言葉は一度発せられると、ひとつの文脈の中に流れていることも同時に承認した。さらにこの事態を検証する。 文章のなかで初めに据えられた語は、可能な文脈を、自分のうちにあらかじめ持っている。「空は」あらかじめ「青い」ものである。「暗ければ」文脈は破断されて、独特の雰囲気をかもしだす。上の説明では、詩文のなかに配置された言葉は、楽譜の音符のように、それ自体は音楽ではないのに、弾き手や歌い手によっては音楽として(文脈を持って)流れる。では徳弘康代の「初めに据える語」の特徴とは何なのだろう。 それが何とも、その語りだすポイントになる言葉が、徳弘康代の場合は「木」・「水」・「光」・「雲」などと詩の言葉としては非常に重要であるが、それだけに原初的な言葉が多い。詩を語るものの状況を解らせてくれる言葉の量も最小限だ。むしろ私などはもっと手垢がついていても、世間と世界中で出会う鮮やかな存在事物に彩られ(色取られ)、火遊びをした華やかな言葉を使ってもらいたいようにも思う。そのうえで徳弘康代の詩の思想とは何であるかと、問われるとまったく困ってしまう。 可能な推測として、この詩集のなかで「ない」という言葉が仕切りに使われる。(特に「ふところにないを入れて」・「ライブレッドの重さについて」の第三連など、参照。)これはマルティン・ハイデガーの「存在と時間」や「形而上学とは何か」の時期の思想と似ている。 例えば一例として「火曜日的なこと」を取り挙げてみる。 ・・・/火曜日的な話をしようと/人が言った 月曜日のユウウツを 少しだけひきずって(ユウウツと自意識的な感情が出ている。下記の相似点。評者。) 週末から遠い みんなの話題から はなれた(「遠い+はなれた」この距離感、構造については上記。評者。) 火曜日の話 この「話」というのが、次に提示される。 ないものはない いや あるものはある これは ミスの話 謎の話ではなく (ミスは過ちであり、missing=無くした、の意味もあろう。評者。) 「ないものはない/いや あるものはある」は「ない、ある」と判断している主体の問題としては、哲学的な表現であろう。最終連がその「話」の主体を明らかにする。 ここ にあるものの こと 「ここ にある」とは、実存している主体としてハイデガーの「存在と時間」では分析されるDasein(「現存在」とか、「現有、ゲンウ」とか訳される。)、Daは英語ではthere、here、Seinはbe動詞。日常会話でもよく使うような例、「はい、証明書です。Here is a certificate.」の「Here is」などと同じである。この何気ない(それだけに「感情」の篭められた)発語こそ、話者の側の人間存在、すなわち実存を日常的に示す言葉として「存在と時間」では膨大な分析が為される。 このまま当て嵌めてみると「火曜日の話」は「ここ にある」話者の実存の「こと」になる。日曜日が終わり、憂鬱な月曜日を引きずったままの、日常的で取り留めのない「火曜日」の気分を口に出して「話して」(現存在の現象として「話」自体も「存在と時間」では分析されている。)見ることなのだ。この「気分を話すこと」は次のように説明される。 もう少しまとまるように してみるとか きのうのことを もういちどやり直してみるとか そういうことのあいだの 週の中に かくれている 多分 目立たない 火曜日あたりに かくれている ような人間存在(実存)の気分 ここ にあるものの ことである。 存在するものを論じる論理においては、「ない」は「・・・以外の何者でもない」として「限定詞」として作用する。とすれば人間の実存は、存在する事物の本来完全な否定である「無」を、「・・・ない」と帰結する論理の諸々の現象として存在しうる可能な領域を持つことになる。これが、あらゆる「・・・ない」を発する人間の実存(存在)から、哲学の諸問題を解こうと努力していたこの当時のハイデガーの取った基本的な思想的スタンスである。 「不安」とか「関心」ばかりが有名であるが、日常性に含まれるさまざまな気分、「憂鬱」・「期待」・「恐れ」など多くの情態性が、この人間の実存を構成する重要な特徴として「存在と時間」では分析された。(この哲学的論究の一過程が人生論的に解釈され、いまはもう哲学史的事件として有名ではあるが、度し難い誤解を招いた。しかしここはハイデガーの思想を問題とするところでないことも明言しておく。) それゆえ徳弘康代の詩の関心事は具体的な言葉で表される、諸事象ではなく、上のような詩の読みに見られるように、言葉を駆使する人間実存の揺れ動きであるようにも思われる。 しかしながらこういうだけで、いま挙げた私の「実存哲学」的な解釈にだけ彼女の詩を理解してしまい、そのうえで詩集全体を通読すれば、それが外れてはいないものの間違いであることに気づく一時期はそういう感化を受けたか、あるいはこれはあくまで私の推測であって、私自身もそれで彼女のこの詩集の片が付くとは思ってもいない。指摘にとどめておこう。 さらにこの種の悪しき誤解はいつまでたっても根強いので、念の為に申し上げておくが、私が言う徳弘康代の詩も(そして私も)俗に言う「実存主義」の言う「この世は不条理で、苦しいものであって・・・」式の思想とは無縁だという確信も私は持っている。(かつて私はこの分野の研究者であった。あえて強調しておく。) <徳弘康代の詩の傾向> 私が論述してきた限りの考察と観察のなかで、詩を語りだす「人間実存の揺れ動き」という点で、また「わたし」の一人称的に詩が書かれているゆえに、徳弘康代の詩は広い意味での叙情詩であるようにも見える、しかしそれはむしろ「火遊びをした華やかな言葉」を駆使して打ち返し、反照的に照らし出される実存の「主体」の感情ではなく、より主体の持っている「感情そのもの」へとラディカルに遡及しているのである。 言わば日本語の文法において体言と用言で文が構成されるものであるなら、彼女の場合は、より用言に歌唱法のこぶしを入れた歌い方なのだ。これは前段のように、存在するものよりも実存の「無」の領域に関心が行くのと似ているかもしれない。 さらに別言すれば、上の「初めに据えられた語に可能な文脈」という詩の言葉の設定のなかで言えば、徳弘康代のもっぱらの関心事は「初めに据えられた語」ではなく、「可能な文脈」ではないだろうか。据える言葉がそれなりのものであれば、当然に日常的な感覚が「据えられる。」(表現される。)次の詩は動作としては家の出入りでしかない。 さよなら、水 と蛇口を閉めて出て行く 朝 初夏の島には初夏の電車 熱し始めた町の空気を まぜかえす さよなら いい天気 かぎを回せば開く部屋の ちょうどいい高さの いすに座って 今日こそ 終わりにしたい仕事に 手をのばす さよなら 手のひら 時間がそこで やわらかいように できればいつも とりあえず 今 「六月のてのひら」全行 結果的には日常がより深く解釈される。このような詩の傾向が生じてくるのは言語研究などにも見られるポエジーである。詩の言葉の音声的な和音も優れている。とすると徳弘康代の学問的な研究についても見ることができれば、より多くを判明することがあろう。残念ではあるが私はそれを読んではいないし、また詩の問題からは外れることもあろう。 詩は読むものであって、あえて結論を出すものでもない。ただあまり軽い詩ではないように思える。(私の詩のように「重い」ことを塗炭の苦しみで書き出しているという、それはもうはなはだしい喜劇でもない。)日常の言葉で綴られる詩が、もしライトであると定義するなら、現在一般に使用される「日常の言葉」もある程度は「火遊びを」しているからである。徳弘康代の詩は、軽さ、重さで限定される詩以外の詩なのだ。 彼女の詩の評価はそれらが了解されたうえで、行われるべきであろう。私の観察にまだ結語はない。ただ私には、こんな読解でよいのかは知らないけど、頭で考えていけば、複雑ではあるが理解しやすい詩集であると思う。これは共感できる部分である。ただ日常的な意識から離れている分、説明しろというと難しいが、かなりまとまって整然とした女性らしい意識も感じられる。(「眠れないときは」)一方他の女性詩といわれるものの、生々しさや荒々しさとは縁が遠いようにも感じた。 2004H16.10.31 灰皿町公園5番地に所収したものを移設。冨澤守治・パーソナル・ウェブサイト
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