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海埜今日子「砂街」・「門街」


少し前にとどけていただいた、海埜今日子さんの同人誌にあった二つの完成度の高い詩がある。「砂街」・「門街」である。
 
いつものように優れた詩であるが、彼女の詩は相変わらず論評が難しい。しかし今回のこれらの詩はポエジーに満ち溢れている。おそらくはもとの、彼女をとらえた感動は鮮やかなものであったのだろう。
 
すべての詩行を紹介するのは、いずれ詩集に纏められるであろう。慎みたいが、このふたつの「街」の連作を見て行くと、使われる言葉にふたつの系列があることに気がつく。
 
中州の流れがあったところに砂があり、縁取りに草があり、それを吹く気流がある。いわばこの自然の荒涼のなかに、「旅・歩く・街・堀・郷愁・伝聞・門(西欧の城塞市のように街の門を、私は考えてしまう。)・こくいん・よかん・情念・ビル」など、人間のにおいのするものが続く。自然と人工が交叉し、彼女の詩想のなかでゆらぎあうかのように、詩の行が進む。
 
私自身は散文詩も書くけど、行分けの詩が好きだし、古風に連・スタンザの際立った詩の書き方にこだわっている。しかし今回は散文とスタンザの無いこの形式が気にいった。この深い味わいと、ひと舞いを舞う彼女の詩の言葉の流れに惹かれるものが多かった。

旅がすけるまで歩きたかった。唐突なまでに砂。写真たちのめくれ、すどおりが加速され、…ささやく時間をながめている。…風をあえぐ苦しい街。想いたちがよぎっていたから、うつむくそぶりであたためていたんです。草の香りが待たれる…砂の底がかつてのながれだ。いないひとをささえたくなる。…あれは旅行者たちなのだ。中州のような街、いない橋。よく似た流れをみかけました。…草の垂直がしずかにやわらぎ、起きるためのように息吹を伝える。…(「砂街」冒頭。)
旅人の視野にいつも砂の原となびく草の原が映る。こうして行くと、難解に見える詩行も一瞬のうちにリアルな映像となるだろう。あとは流れるような、草原とも砂漠にでも波打つようなリリカルな詩想の言葉たちである。
…砂をとどける新芽のたよりに、ふるいガラスがひびくだろう。あなたの旅がきびすをつげる、風をそそぐ。背後でおぼえるそれでも街が。
(「砂街」終行。)
この「砂街」に続けて、
指のむれがつどっている。まわたのようなこくいん、しめつられた感情が、門のふところにしんしょくし。ながい年月、そのこまかなこすれかたをやきつけ、おぼえて、街のあかりをすこしずつうばっていった、といういりぐちにまつわるじゅっかい…たびはそこからつづけようとおもった。…
(「門街」冒頭。)
 
…こういがそよぐたび、さわられていたきもちをはしる。草のうごめきを指におぼえたかったのだから、かれらは…われたあかりをたくすのだろう。…ゆらぐ情感。…草のむれがおおうでぐちはだれをもあいした。なづけるおもいがたたいた門。
(「門街」終行。)
言葉は常に有終に終わり、余韻を湛え、詩想が終わって初めて、思念を読者の脳裏に漂わせはじめる。
 
「すぴんくす」Vol.2所収




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