詩のコーナー

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祗園祭


 —祗園囃子の音が聞こえる—

ふと想いが向かう
終わってしまったこと
過ぎた年月を数える
口惜しくもあり、もの哀しさがつきまとう
悪いことは忘れると謂うが
忘れないことによって いまも
その良き日々に帰る

若かりし頃は、清純な思いに拘り
控え目に、狂おしく擦り寄る女に不快を覚え
もちろんまた内分泌を多く情熱の要素に含む
青春の恋もあった
それらが虚しい愛か、否か
答えはいまも解らない

無慈悲な幾つもの死に出会い
何度も悲しみの海に沈んだ そのうえ
誰にも『死の大波』が寄せることはあり得る
幸運にも私はいまここに生きて
その『激痛』を詩に綴り続けている

力強くもひとと争い、愚かしくも
踊るように振る舞ったこともあった
ときに私は低められ、多くを失い
また私が勝ち残り、微笑むうちに
成し遂げたことが歳に似合わぬと
『褒められた』?こともあった
もちろん私は笑い続けたのだ

それぞれのときに誰かに言われたことなど
ひとときの事柄としてもう意味も無く
思い出の苦いこと、やり残したことの連続
そして『誇り』
それらは決して忘れはしない
忘れないことによって
さらに生きることができる

だが心はそのことにより癒されているのか
こうしても、生きることはまだも何かに辿り
着いてはいない


 —祗園祭—

 巡り来る甘き歳月、水無月(ミナヅキ)は
 都大路に梅雨明ける夏(祭り、『復活』)

京都の日常は深い歴史の闇のうえに営まれる
七月、その歴史はこの地上に現れる
四条通の東端(ヒガシハシ)
八坂神社の祗園社を見据えて
鉾町(ホコマチ)と呼ばれるビル街に
真木(シンギ)を立てる鉾、山が立つ

 京大路(ミヤコオオジ)、祗園囃子はざわめくも
 社に侘びる玉の夏風

宵々山、宵山、その日々の夕方
東山四条、祗園の朱の門の前、大きな交差点で
うす緑の市バスが方向を変える
辺(アタ)りは、いつもより行き交う人々が増え
華やぐ見事な芸妓(ゲイコ)たち、高級なホステスたちが
目立つ

 ひと叢(ムラ)、大路に繁く行き交うも
 夏の初めは灯(ヒ)を架けて、待つ

熱気に蒸れる鉾町、つまりビル街の方には
汗だくになってひしめき、練り歩く
幾十万の浴衣姿の人々がいて
町家(マチヤ)の屏風祭(ビョウブマツリ)を見て回り
駒形提灯(コマガタチョウチン)を組んで
型を映す山鉾(ヤマボコ)に群れては
厄よけの粽(チマキ)を貰い受ける
合唱するコンチキチン、コンチキチン、
…の祗園囃子のなか
京都の夏は『正式に』始まる

やがて初夏の陽射しのなか
長刀鉾(ナギナタボコ)が縄を切り、八坂神社の神域に入る
矛(ホコ)を立て、祗園社の神輿が悪疫退散のため
神泉苑(ジンセンエン)に向かった故事のある祗園祭
山鉾は疫神たちを迎えて市中を巡る

 祗園祭、厄よけの祈り☆
 京都の夏、…五山の送り火…
 夏の大文字まで




詩集「夜桜は散り落ちて」に所収。 「詩学」2001.08に初出、掲載のものを、一部改作。2004.07公開。
冨澤守治・パーソナル・ウェブサイト